けんぞーの日記

アラサー無気力男の日記です。下ネタから自身の日記に至るまで内容盛り沢山です

2020年、公教育が変わる?

今回の『けんぞーの気になる記事』はこちら

 

www.yomiuri.co.jp

 

文部科学相の諮問機関・中央教育審議会の特別部会が2020年度から小中高校で順次実施する次期学習指導要領の中間報告を公表した

 

今回はその中での討論型授業に注目してみたい。いわゆる『アクティブ・ラーニング』というやつだ

 

中教審の審議のまとめでは、グローバル化する社会で子どもたちが主体的に学び、「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」「学びに向かう力・人間性」の育成を次期学習指導要領の3本柱に掲げる

 

学び方として、小中高の全教科に児童生徒が対話しながら課題や解決策を探る『アクティブ・ラーニング』を取り入れ、教師が一方的に話す一斉授業からの転換を図る

 

ということらしい

 

現在のところ、具体的にどのような形で授業を執り行うのか定かではないので、賛成・反対は断言しづらいが、強いて言うなら小学校・中学校の段階での本格的な討論型授業の導入は反対だ(高校なら賛成。その理由は後述する)

 

以下、現段階で僕が反対する理由を書く

 

1.教職員への負担増

承知の通り、教職員の仕事量は半端ない。日々の授業に加え、テストを作ったり採点したりの雑務、保護者の対応、部活動…。ブラック企業そのものだ

 

そこに討論型授業を導入しようとすると、間違いなく研修会や勉強会など新たな負担が加わる。その結果教職員のパフォーマンスが低下し、どんなに先駆的な授業であろうと効果がいまいち表れないことになるかもしれない

 

2.討論型授業の導入でも教師の一斉授業が大半を占める

佐賀新聞にアクティブ・ラーニングの記事が載っていた。参考までに

 

www.saga-s.co.jp

 

わざわざ文科省がアクティブ・ラーニングの導入に真剣になってるんだから、さぞ全公立学校のためにお力を添えるのだろうと思っていたらちょっと違うようだ

 

文科省は「教え方を指導要領で規定することはない」と明言している。つまり、やれとは言ったけどやり方には口を出さないよということだ

 

その結果、現場は負担を減らすために『やった』というアリバイを作る。2割ほどは討論する時間を設けるけどあとは座学でカリキュラムを消化するという形になりかねない。というか正直公立学校ではそうせざるを得なくなるはずだ

 

討論を主としたカリキュラムの場合は、参加者(生徒)はその討論議題に対する知識を有しておかねばならない。私学に通う子どもたちならまだしも、公立校の子どもたちが自宅学習で予習・復讐するかというとほとんどの子たちはしない

 

その結果その討論をするための知識を座学で補わなければどうしようもない。よって教師の一斉授業が主となることに変わりはない(転換を図るとは言っているが、一斉授業がなくなるわけじゃないだろう。ここでは比率的に一斉授業の比率はそんなに変わらないのではという意味で述べた)

 

※これに関しては僕が上に書いたようなことには恐らくならない。文科省が全体の何%の割合で討論する時間を設けなさいと省令が下るはずだから。じゃないとせっかく導入しても僕が書いたようなことをされたら学習指導要領を策定する意味が無い。ではなぜ書いたかというと、書きたかったからさ

 

3.討論型授業では評価できない

これどう評価するのだろうか。討論に対する姿勢で評価するのか、内容で評価するのか、教師の主観で気に入ったことを言ったら評価するのか。評価の基準が曖昧なまま討論型授業を導入し、成績に反映させるとか止めて欲しい

 

また教科によっては討論型が向かない教科もあるだろう。算数なんてどこに対話の余地があるのかわからない(先生が問題を出してみんなで話しながら解くのだろうか?)

 

4.人前で話すことが苦手な子にとっては毎日が地獄

僕が反対する理由はこれが一番大きい

 

世の中には人前で話すと緊張する子、吃音などでうまく話せない子などがいる。みんながみんな自分の意見を声に出して言えるわけじゃない

 

やればできるとか、慣れたら大丈夫とか言う無責任な大人もいるが、そんな根性論ではどうにもならない子もいる。そのような子たちにとって、それらの時間はしんどいだろう

 

みんなが話してる間じっと黙ってなければならない。それを不真面目だと教師から責められ成績が落ちたなんてあってはならない

 

公教育である以上、特性的・人格的なマイノリティの子たちには配慮して欲しい。彼らのほとんどは家庭と学校しか居場所がない

 

朝のスピーチが嫌だと会社を辞める人がいるが、子供はそうはいかない。学校によるストレスは極力少ないほうが良い

 

5.高校からは導入すればいい

なぜそのようなことを言うか。大学受験のシステムが変わらないかぎり討論型授業を真剣にやろうなんて高校はほとんどないはずだ(大学入試で討論型試験導入するなんて言ったら全力で反対してやる)

 

普通校はもちろん技術を学ぶ場である工業高校なんかもそこまで重要視しないはずなので、苦手なら黙ってりゃ先生がなんとかしてくれそうな気がする

 

それでも嫌なら、通信制高校へ行って人と顔を合わせる時間を減らすとか何かしら工夫はできる(中学3年の時に通信制高校へ行くと言うと周りの大人が怒りますが粘りましょう)

 

6.討論じゃなければ思考力は育たないのか

討論型授業導入の目的は「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」「学びに向かう力・人間性」の育成だ。しかし討論でなければそれらは育まれないのか。そんなことはない

 

ではどのような代替案があるか。それは文章を書くことだ。自分で調べる。仮説を立てる。実験・調査をする。結果を元に考察する。これを成長に合わせて段階的にできるようになれば地頭はよくなる(多分)。

 

ライティングの時間を導入し、これらの訓練をした方が喋れない子も苦痛じゃないだろうからいいと思うんだけど。それに20年度からセンター試験も衣替えし「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」が実施される。これは思考力や表現力を評価する記述問題もあるので、文章を書くほうがよっぽど実践的かもしれない

 

7.最後に

ここまで読んで僕が討論型授業そのものに否定的だと思われた方もいるだろうが、そんなことはない。むしろそれに関しては肯定的だ

 

僕が反対してるのは、現状のままそれを導入すると現場が疲弊する。その結果中途半端な授業になって効果が得られないのではないかということと、討論型授業の導入によりそれらに適応できない子たちのストレスとなるのではないかという2点だ

 

まだ具体的な案が出ていないようなので、僕が挙げた課題は克服されていくだろうと思う

 

福岡に中高生を対象に討論を通して人間的な成長を促そうという事業をされている方がいるが、そのように民間から場がどんどん提供されるのは大賛成だ

 

www.d-court.net

 

要は強制ではなく選択できる環境。それが子供たちには重要なのだ。そしてこの選択を周りの大人達が大事にすることで子供は成長する(多分)

 

あとがきとして…

個人的には子供の頃から人と話すことには慣れておいたほうが良いと思っている。それが雑談であれ討論であれ

 

僕は子供の頃からあまり人が得意じゃない、特に同世代とか。高校の頃は三年間くらいほとんど誰とも口を利かなかったし、大人になってからも人と話すことは滅多になかった

 

20代も半ばを過ぎたあたりから人と話す機会が多くなった。働いたり、友だちと会ったり、時には初対面の人と話す機会もある

 

そんなときよく自覚するんだけど、人が話していることが判っていない時がある。趣旨を理解できていないといえば良いのだろうか。だから何か言われて僕がそれに答えると、相手が「ん?」て顔をする時もあってその時に僕は間違えたんだって思う

 

それに僕は喋り出すとよくまとまっていなくて、なにが言いたいのか伝えられないこともある。それに噛む。吃音じゃないけど吃りっぽいのが出ることもある

 

基本的にそれらはどうしようもない。無意識でやっちゃうので。なので、人と会ったあとは一人反省会をして、あの時あぁ言えばよかったとか考えながら悶えている

 

義務教育課程で討論型授業の導入は反対だと書いたが、それが成績に影響せずその場を仕切る先生の配慮があれば導入自体にはそこまで強く反対しない。話せない子が話せる空間を作ってあげることで話し慣れていくこともある

 

みんながみんな声を出せるようになればいいとは言わないが、この世界は出さないより出したほうがいい

 

長くなってしまったけど、じゃぁ、またね